遺伝子スイッチの確率的動作
同じゲノムを持った細胞でも、環境に応じて、あるいは細胞周期に応じて異なる遺伝子が活動しています。これは、遺伝子の活動をONにしたりOFFにしたりする制御が働いているためです。この制御を担うタンパク質も遺伝子の活動によって合成されるのですから、遺伝子スイッチはネットワークを形成して情報処理の機能を発揮します。しかし、細胞はミクロン程度の長さを持つメゾスコピックなシステムですから、細胞の中の分子の数は多くありません。制御に関わるタンパク質は1種類あたり100個程度しかないことが通常ですし、DNAは1分子程度しか細胞中に存在しません。試験管の中には、希薄な溶液でも、1種類あたり10の20乗個程度の多量の分子が含まれているため、化学反応の揺らぎは平均されて消えてしまいますが、細胞の中ではそういうわけにはゆきません。制御タンパク質の濃度と反応は確率的に変動し、遺伝子スイッチと遺伝子ネットワークは大きく揺らぐ動作を示します。この遺伝子スイッチのノイズの性質について、確率シミュレーションや統計力学理論を用いて考えます。


Y. Okabe-Oho, H. Murakami, S. Oho, and M. Sasai, "Stable, precise, and reproducible patterning of bicoid and hunchback molecules in the early Drosophila embryo", PLoS Comp. Biol. 5, e1000486_1-20 (2009).
M. Yoda, T. Ushikubo, W. Inoue & M. Sasai, "Roles of noise in single and coupled multiple genetic oscillators", J. Chem. Phys. 126(11) 115101-1-11 (2007).
Y. Okabe, Y. Yagi & M. Sasai, "Effects of the DNA state fluctuation on single-cell dynamics of self-regulating gene", J. Chem. Phys. 127, 105107 (2007).
Y. Okabe & M. Sasai. "Stable stochastic dynamics in yeast cell cycle", Biophys. J. 93, 3451-3459 (2007).
M. Sasai & P.G. Wolynes, "Stochastic Gene Expression as a Many Body Problem", Proc. Natl. Acad. Sci. USA 100(5) 2374-2379 (2003).


ES細胞とiPS細胞
ES細胞は医学的応用の可能性から強い関心を集めていますが、適切な培養条件では分化せずにES細胞のまま増殖し、培養条件を変えると様々な(すべてのタイプの)細胞に分化します。こうした分化多能性を維持しながら増殖を続けられる理由は何か?どのように分化の方向(細胞の運命)が決定されるかというのが重要な問題ですが、さらに、ES細胞のまま増殖する場合でも、個々の細胞は大きな揺らぎを示すことが知られています。この揺らぎの理由は何か?細胞の運命決定と揺らぎの関係は?という問題に理論的に取り組みます。さらに、遺伝子活動をコントロールするシミュレーションにより、リプログラミングの可能な経路を分析し、iPS細胞生成の条件を考えます。


M. Sasai, Y. Kawabata, K. Makishi, K. Itoh, and T. P. Terada, in preparation


タンパク質相互作用による生物リズム- KaiABCシステム
多くの生物はほぼ24時間のリズムを持っていますが、それらは遺伝子スイッチの動作が時間的に振動しているからだと思われてきました。世界が驚いたのは、理学部の近藤先生の研究室の発見です。近藤さんたちは、KaiA, KaiB, KaiCと呼ばれる3つの蛋白質とATPを試験管に混ぜるだけで、安定な、ほぼ1日を周期とする振動が生じる(KaiCの6量体には12カ所のリン酸化される場所があるが、そのうち何カ所リン酸化されるかという程度が、ほぼ24時間周期で振動する)ことを示したのです。この系には遺伝子スイッチは含まれていませんから、いままでの常識はひっくりかえったわけです。世界中が注目して、この振動を説明する理論モデルをたくさんのグループが発表しましたが、どのモデルが良いのかまだわかっていません。この現象の謎を解くことは、化学反応のエネルギーが如何にして規則正しい振動という情報に変換されるか、という問題を解くことでもあり、蛋白質の構造、蛋白質の相互作用の果たす役割を明らかにすることでもあり、大変興味がもたれます。


T. Nagai, T. P. Terada, and M. Sasai, "Synchronizaion of circadian oscillation of phosphorylation level of KaiC in vitro", Biophys. J. 98: 2469-2477 (2010).
K. Eguchi, M. Yoda, T. P. Terada, and M. Sasai, "Mechanism of robust circadian oscillation of KaiC phosphorylation in vitro", Biophys. J. 95: 1773-1784 (2008).
M. Yoda, K. Eguchi, T. P. Terada, and M. Sasai, "Monomer-shuffling and allosteric transition in circadian oscillation of KaiC phosphorylation", PLoS ONE 2: e408 (2007).

